活動日誌

山宣のたたかい受け継ぎ、憲法を変えさせない

山本宣治は、1928年2月の第1回男子普通選挙で当選し、絶対主義的天皇制のもとで国会議員として活躍されました。治安維持法の改悪に反対の立場を明確に示し、反対討論を控えた1929年3月5日、右翼に刺殺されてしまいます。

 私は先日、長野県上田市で開かれた長野山宣会の総会に参加してきました。山本宣治は、刺殺される直前、上田農民組合の大会であいさつしていました。いまも上田市に山宣の碑が建っており、共謀罪法の強行採決を前後して、訪れる方も増えているといいます。

 余談ですが、私は山宣の写真がプリントされたクリアファイルを使用しており、参議院本会議場にもっていったら、隣の立憲民主党の議員が「この方は誰ですか?」と話しかけてこられました。山本宣治を紹介すると「勉強不足でした。しかし、共産党の戦前の活動家は本当にすごいと思う」と話されました。そして、「私の持っているクリアファイルは日本国憲法です」と条文全文が書かれたクリアファイルを見せてくれました。憲法を守らなければならないと一致したところです。

 二度と戦争は繰り返さないと決意した憲法を、安倍政権に変えさせるわけにはいきません。それは、山宣の命をかけたたたかいを受け継ぐ私たちにとって、最大の仕事になります。全国3000万署名を集めきること、そして市民と野党の共闘で安倍政権を倒すために、全力を尽くして頑張ります。