活動日誌

国民との共同の力で、原発建設阻止!

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「芦浜原発を止めたまち」記念碑前で

「芦浜原発を止めたまち」記念碑前で

2月27日、旧南島町、現在の南伊勢町に伺い、芦浜原発建設阻止の運動に取り組まれたOさんにお話を伺いました。

中部電力が原発の建設計画を明らかにしたのは1963年11月。12月には日本共産党三重県委員会は、当時まだ十分整備されていなかった道路をオートバイで走り、ビラを届け配布。古和浦(こわうら)漁協は漁業権をもっており、「海を汚すな」と反対運動を展開し、1967年に白紙撤回となりました。

 

1977年、国が芦浜を「要対策重要電源」に指定し、ふたたび建設推進運動が始まったそうで、私がお話をうかがったのは、主にこの第二次のたたかいです。お話はたいへん生々しいものでした。南島町は「小さな陸の孤島」(Oさん)、みんなの顔が見える、みんな親戚とも言える島で、金銭による懐柔作戦が行われました。

「(漁協総会で原発推進決議をあげたいので、)委任状を書いてくれたら10万円やる」

「手当を出すバス旅行に町民を連れていく」

「親戚が亡くなっても相手側なら拍手して喜ぶ」

「子どもが『○○ちゃんと遊びたいけど、賛成派か?反対派か?』と聞く」

「町をスーツ姿の人が歩くと、すぐ中電の社員だとわかるので、『中電死んでけ!』と子どもがいう」などなど、人間関係をこわしてきたのが中部電力とのたたかいだったと言います。

「放射能も怖いけど、原発つくられるまでも本当に怖い」とOさんの言葉は印象的です。

 

しかし、原発建は止めた。2000年、県知事が白紙撤回を表明。最大の力は、三重県中で集めた原発反対署名、81万筆。これは三重県民の過半数に達しました。

小倉さんは、たいへん日本共産党に共感していると話してくださいました。

「1963年12月のビラ配布、81万署名の推進、そして県庁へ向けてデモをした際には、共産党が横断幕をもって出迎えてくれたのが日本共産党。本当にうれしかった」とOさん。

 

原発建設を許さない市民のたたかい、国民との共同の力で政治を動かす日本共産党を、三重県党の歴史に学びました。