「村が壊れていく」――2011年3月11日の東日本大震災の翌日、長野県栄村などを襲った大震災の被害で、住宅を取り壊し、田植えのできない田んぼ、村民が戻らない状況に、栄村で聞いた言葉です。村民はじめ、村や長野県も努力し、復興の歩みを始めている栄村に対し、原発事故という特別の被害がある福島県の実情を見なければならないという思いで、3月2日、3日、福島県を訪れました。
ごいっしょしたのは、私と同じく今年の参議院選挙比例代表選挙で国会に挑戦するいわぶち友予定候補、椎葉かずゆき予定候補、また福島選挙区のくまがい智予定候補、千葉選挙区の浅野ふみ子予定候補です。日本共産党福島県委員会のみなさんには大変お世話になりました。ありがとうございました。
日程は、3月2日、日本共産党福島県委員会で、現状と今後の課題についてレクチャーを受け、続けて浪江町から避難されている方たちとの懇談。これは、福島市内の仮設住宅の集会所をお借りしました。翌3日は、福島市を出発して、川俣町、飯舘村を抜け、南相馬市から国道6号線を南下し、いわき市まで視察するというものでした。
浪江町のみなさんの訴え
浪江町のみなさんは、現在の実情や行政への要望、苦しい胸のうちを2時間弱にわたってお話くださいました。
「除染のために田んぼの土が取られる。あの土は私たちが買って入れたんだ。土作りも、米作りも、すぐにはできない。それをとられるのは許せない。私たちの骨折りは少しばかりのものではないですよ」
「町に戻るか否か。高齢者と若い人で判断が分かれると思うよ。なかなか一つの家庭にまとまることが難しい。家を1軒たててどう暮らしていくのか、建てただけでは暮らしていけないので、建てる気持ちになれないです」
「この仮説住宅、最大185戸、現在120戸弱、さらに人が減っていくだろうが、自治会組織も維持できなくなっていくとき、誰が残る高齢者の生活を見てくれるのか。ここのつなぎが必要だ」
ふるさとが奪われる、住まいを奪われる、生業を奪われるという「我が悩み」を率直に話していただいた。また仮設住宅から復興住宅へ、ただきれいな建物を建てればいいということではなく、被災者の声にそった行政の役割も考えさせられるものだったと思います。
福島では現在、村が壊されているのではないか、と感じました。それは、家がない、田んぼでコメが作れない、そもそも線量が高くて住めない地域もあるなど、原発事故があったからのものです。「原発事故さえなかったら」と浪江町の方は何度か言われました。本音だと思います。国と東電は、その責任を明確にすべきです。
2日目以降、現地を見て、複雑さのある福島の現状を見てきました。次は、2日目について書きたいと思います。