今日は、熊本県水俣市へ。
水俣病の公式認定から60年の節目の年。慰霊祭に参加しました。
90歳になられる女性が、夫を亡くされた思い、加害企業であるチッソへの思いなどを話されました。
38歳の夫を亡くされたのだそうです。
当初は、水俣病というものの認識もなかったので「栄養失調では」と言われ、では栄養のあるものをと、魚を食べるようにしたそうです。「いま考えれば毒だった」と、悔しい思いが伝わってきました。
写真は、加害企業であるチッソがメチル水銀を垂れ流した百間排水口で、被害について説明してくださった野中重男水俣市議。
また、いまのチッソ。
加害企業の責任、またその責任をあいまいにしてきた国と県の責任をはっきりさせないとならないと実感しました。