千曲川の再調査(2/10~12)。日本共産党長野県議団、長野市議団が主催する災害シンポジウム(2/16)に向けて行われたもので、国土問題研究会の先生方に教えていただきながらの視察。
何度もいった場所ではありますが、専門的知識を持った方と歩くと全く新しい視点が。
●決壊部の近くに広がる礫の堆積。これはどこから来たのか。地元のみなさんの大いなる疑問です。
●地元の方には、堤外農地を案内いただき、農道から堆積土砂を取り除き始めた現場を確認。農地によっては、農地そのものの堆積土砂を取り除いているところも。やはり、30cm、40cm、50cmと、厚い堆積土砂がありました。
●高水敷の崩落場所は初めて視察。農家の方に聞くと、高水敷まで浸かるような浸水は3年~5年に一度位はあり、そのたび5cmほどの堆積があったと言います。
●元々、決壊部には長沼城がありました。当時のお堀をどうやって埋めたのか…。地元でも語られている点です。
●写真にはないけども、長野市上篠ノ井のからねこ神社脇の堤防崩落、決壊の一歩手前の現場へ。堤防道路のひび割れから水が染み出ていることを観察。堤体に水が含まれ、神社のある住宅地側に浸透、圧がかかったことが読み取れるとの指摘。なるほど、新しい視点を教えていただいた。
私は、2/10と2/12の参加となり、すべてのポイントを調査できませんでした。
が、他にも気になる点はたくさん。
さらに資料、データを集め、関係者の方にヒアリングもして、決壊の原因と今後の治水対策、河川整備に向けた検証をすすめたい。