国会質問

質問日:2017年 12月 21日  第195臨時国会  北朝鮮・拉致特別委員会

拉致被害者家族の皆さんに来ていただき参考人質疑

衆参それぞれで拉致問題等の特別委員会が開かれました。参議院では参考人に、飯塚繁雄さん、横田早紀江さん、斉藤文代さん3名の被害者家族の皆さんに来ていただきました。

ある日突然いなくなってしまった横田めぐみさんへの思い、帰りを待ちながらなくなったご家族の方の思いなど、しっかり受け止めたいと思います。

横田早紀江さんは「戦争だけはやめてほしい」と話されました。北朝鮮も日本も、どの国も戦争だけはあってはならないとのお話でした。北朝鮮との対話を「人間としての話し合い」「目を見て話す」ことが大切と表現されていました。
経済制裁も行いながら、一日も早く対話のテーブルにつかせることが必要です。

質問の映像へのリンク

政府をあげて最優先で問題解決を

議事録

○武田良介君 日本共産党の武田良介です。
 今日は、三人の参考人の皆さん、本当に大切なお話ありがとうございます。午前中から続きで大変かと思いますけれども、よろしくお願いをしたいと思います。
 先ほど来のお話も聞かせていただいて、私も前回の、五月だったと思いますけれども、この参議院の拉致特の委員会に参考人の皆さん来ていただいてお話しいただいたそのときのことを思い出しながら、お話聞かせていただきました。
 そのときにも、横田参考人も、どうしてこの子がいなくなったんだろうといつも食堂の椅子を眺めて、何でここにあの子がいないのと言いながら、毎日泣きながら、畳をかきむしって絶叫して泣きながら過ごした新潟時代でしたというようなお話、私も子供もおりますので自分にも重ねて聞かせていただきましたし、斉藤参考人も、今日も資料ありがとうございました。たしか五月のときにも、母から薫はどこにいるのと聞かれて、海の向こうで元気にしているからと答えたら、それから母が毎日バス、電車を乗り継いで海岸に行って、暗くなるまで海を見詰め、テトラに座っておられたと、その後亡くなられたというお話までしていただいたかというふうに思います。そういった思い、しっかりと私も受け止めて頑張らなければいけないというふうに思っております。
 横田参考人に最初にお聞きしたいと思うんですが、各地の講演だとか、それから著作などでも、今日もお話ありましたけれども、やはり親ならば子供を何としても助けようとするというのは本当に当然だろうということも訴えておられました。今、北朝鮮の情勢めぐって、非常に緊迫したそういった情勢がある中で、めぐみさんの身を案じるその思いというのは非常に大きなものがあるかなというふうに思います。改めてその思いについてお聞かせいただければと思います。

○参考人(横田早紀江君) めぐみのいる場所とか北朝鮮にいるということは一応分かって、元気で生きているという情報は何となくどこかいろんな方から入ってくるんですけれども、実際にその証拠はないんですね。私たちには証拠はもたらされておりませんから、生きているんだと信じておりますし、生きていると思います。
 だけども、いろんなことが起きるたびに、今回もそうですけども、もしも何かそういう大きなことが起きたときに、拉致をされている人たちが今どこにどういうところに置かれているのか、もう本当にどこか山奥の方のどこか収容所のようなところにでも入れられているのか、それともまともに暮らさせられながら拘束されているのか、どんなふうな暮らしをしているのかというのが分からないんですね、家族は誰も。だからいつも何かが、こんなことが起きたらどうするだろうと、どういうふうに逃げていくんだろうとか、もう一遍にぺっしゃんこになっちゃうんだろうかとか、そういうことは親はもう毎日のように考えておりまして、本当によく潰れないでいると自分でも思っております。

○武田良介君 親としての思い、本当に私も受け止めたいというふうに思っております。
 拉致被害者の御家族の皆さんが亡くなられていくという訃報もありました。心から御冥福をお祈りしたいというふうに思いますし、解決待ったなしという思いを強くしているところであります。家族と共に暮らしたいという思いは当然の思いだというふうに思いますし、その家族、命ということについて私も考えざるを得ないというふうに思っております。
 飯塚参考人と斉藤参考人にも、その家族、そしてその命ということで思いが、今、横田さんからもありましたけれども、思いがあろうかと思いますので、飯塚参考人、斉藤参考人にお伺いしたいと思います。

○参考人(飯塚繁雄君) 待っている家族がだんだんいなくなるということは、これはもう自然の法則、自然の事実ですね。年がたてばたつほどその現象はあからさまに出てくると。
 私はよく講演のときに話するんですけど、近いうち被害者が帰ってきたと。ところが、誰も迎えに来ない。お父さんお母さんどうしたの、誰も答えられない。兄弟は、いない。これは全く悲劇ですよね。悲劇の場面です。そういった場面をつくってはいけないという私は信念は持っていますが、これ自然の成り行きで、黙ってほっておけばそうなるんです。ですので、もう一刻も早くという言葉がつい出てくるんですけれども。
 まあ私の例でいけば、私の、八重子が残していった子供、耕一郎、あれは私が育てた養子なんですけれども、今はもう四十になりました。いまだに母親の印象が分からない、声も香りも何もかも全部分からない、それをお母さんと呼ぶのは酷だというふうに言って、今、田口八重子さんという名前で呼んでいますけど、ああいう場面はもう私は悲しくて見ていられないですよね。それが、近いうち帰ってきて抱き合う日が来るでしょうけれども、そういうときに初めて自分の実感でお母さんという言葉が出るんだろうなと私なりに思っていますけれども、そういうふうに、これほっておくと大変なことになるんですね。
 ですので、この一刻も早くというのは、もう我々が思いを短縮した言葉で、飾りも何もない。それを理解して認識していただけるかどうかが問題なんですが、いつも言うように、私たちは、私たちの思いしか言えない、それからお願いしか言えない立場です。ですので、長年、例えば四十年間というこの長い月日、この重みを皆様方がどう思っているかなんですね。あるいは、我々、活動始めてからもう二十年もたっても結果が出ない。それから、日朝交渉が終わってからは十五年たっても、その後は全くぷっつり切れて何もない。どんどん年がたって、月日がたってしまうと。それをどう思ってくれるかなんです。まあどうせ延びたんだから少しぐらいいいかというふうに皆さん考えておられるのか。これは失礼な言い方ですけれども、そういう場面もなきにしもあらず。
 ですので、私が言っているように、日本国である以上、政府、国会含めて、一緒になって束を太くしてベクトルを合わせて、もう最優先という姿を是非見せていただきたいなと思います。

○参考人(斉藤文代君) 私も、いろいろと母のことを言われるとやっぱりちょっと涙するんですけれども、母がテトラとか行って座って、駄々をこねて帰らないときは連れて帰りますけれど、そうすると、玄関を入ると、もうとてもとても悲しくって悔しくってということが母はありまして、私を、もうぱっと傘を握って背中を何度もたたかれたことあります。
 でも、これは思い出で、悔しさがこれだけあるんだということを自分の体に母が打ち込んでくれたんだから、今度は自分が、母が亡くなったときに守って、必ず私が母の二代にならないように、同じようなことをしないように、何とか生きているうちに頑張って墓前に、母に連れていきたいなと、そういう気持ちがあって。それと、熊本県にいるのは私と主人しかいないんですよ。だから、帰ってきたときに私が病気をしていたら、もう見てあげたいという気持ちがあっても見れないわけですよね。それが一番また怖いし、かわいそうだなと思いますので、そういうことのないように、一刻も早く家族が帰ってくることをもう願いつつ頑張るしかないなという気持ちで今はおります。

○武田良介君 ありがとうございます。
 時間なので終わりにしたいと思いますけれども、今日の陳述でも、横田参考人が、人間らしい話合いの場が必要だということを、たしか午前中の衆議院の委員会の方でもお話しされていたと思いますし、顔の見えるところで会って話してほしいと、北朝鮮の側とですね、対話の場に着くということでお話があったと思います。日本でも世界のどこでも戦争があってほしくないという思いも、これも繰り返しお話があったというふうに思います。
 本当に一刻も早く解決するために、経済制裁強めて対話の場に引きずり出すこと、どうしても必要だというふうに思いますし、そのために私たちも力を合わせて頑張っていきたいというふうに思っております。
 ありがとうございました。

すべて表示

関連資料

赤旗記事→「衆参拉致特 家族招き参考人質疑/横田氏 直接対話による解決求める/笠井・武田氏 両院で質問」